アドラー心理学

最近話題の「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」の2冊をようやく読破しました。アドラー心理学を知ればこれからの生き方を変えられるのかもしれない・・・と思わせるほどの大傑作だったと思います。

 

 

 

・内容

 

自分の生き方に悩む青年が、とある哲学者の元を尋ね、「アドラー心理学」という哲学の教えを授かることによって人生観を大きく変えていきます。物語性は特になく、ただひたすらこの両者が対談をしているという形式です。

 

では、アドラー心理学とは何なのか。というと、そんなもの私ごときでは到底語り得ません。というか、まだ全貌を理解しきれていないので、細かな解説はできません。しかし、あえて超大まかにまとめるならばこんなところでしょうか。

 

 

・物事を原因論ではなく、目的論で語れ

・他者が自分のことをどう思うかというのは、わたしには知り得ないのだから考えるな

・本当の愛を知ることで自立しろ

 

 

はい・・・。全然まとめきれてないのですが、私が今パッと思いだした、印象に残っているのはこの3つです。本当はもっとあります。では上から順にみていきます。

 

 

 

 

・物事を原因論ではなく、目的論で語れ

 

これは「引きこもり」を例に挙げて説明されていました。

なぜ、引きこもりは引きこもっているのか?という問いに対して

 

「そりゃあ引きこもるようになった原因があるのだろう、例えば学校でいじめられて不登校になってそのまま引きこもり続けてるとか。」

 

というように、「原因論」で考えるのが一般的ではないでしょうか。過去のトラウマによって引きこもらざるを得ない状況なのだ、本人は出たいのだけれど出られないのだ、という感じで。しかし、アドラーはこの原因論を否定し、「目的論」を提唱しました。

つまり、「外に出ないという目的を達成するために、いじめられたという過去を持ち出して、不安感を創出している」

というように考えたのです。

 

外に出ないという目的・・・

 

なぜそんな目的を持ってしまったのかというと、

「単に、外に出ない方が人とかかわる必要がなく楽だから」という目的

「引きこもることによって親に構ってもらい、注目されたい」という目的

さらには「親への復讐」なども考えられるかもしれません。

 

 

目的論は「結局全部言い訳なんだろ?変わりたくないから、変わらない方が楽だからトラウマだの過去だのを持ち出してるだけじゃねえか!」というような暴論にもとれないこともないなあと私は思いましたが、じっくりと考えてみると、極めて前向きな、希望に満ちた考え方であると感じました。

なぜなら、「過去は変えられないが、未来は自由に選び直すことが可能」であるからです。つまり、変えられない過去のトラウマだとかに固執していても仕方がないのだから、すべてを変更可能な未来のものとしてとらえるべきだということです。過去のショックな出来事がきっかけとなり始まった引きこもりも精神病の一種などではなく、本人の決断次第で克服できるものであるということです。

 

もちろん、引きこもりだけに限りません。例えば、自分は悲観的な性格だと思っている人は、「自分は悲観的な性格だから全てが上手くいかないんだ!」という言い訳を随所で実行するという目的を果たすために自らの手で悲観的な性格を選択しているのです。これに関しても、自分が「明るく社交的な性格になりたい」と自分の人生観を選びなおしさえすれば変われます。性格は生まれつき備わったものなどではありません。自分で悲観的になろうと決断してなったにすぎないのです。

 

 

 

 

・他者が自分のことをどう思うかというのは、わたしには知り得ないのだから考えるな

 

私がどれだけ説教しようが、相手はそれで本当に心を入れ替えるとは限りません。であるならば、相手がどれだけダメ人間だとしても

「それは私がどうこうできる問題ではないのだ」と分離することも必要です。これを実行することで他者の目を気にしながら生きていく必要はなくなります。

 

 

 

 

・本当の愛を知ることで自立しろ

 

これに関しては、正直、結婚している人にとっては当たり前だろというか、無意識で実行できていることが書かれているだろうなという感じでした。大まかにまとめると次のようになります。

 

人間は赤ちゃんの状態では、親がいなければ生きていくことができません。おそらく小学校まではそうでしょう。そのため、親に見放されるとか、親に嫌われるとかいう事態は生死にかかわる危機となります。よって、親の言いつけを守り、なるべく好かれるように、見放されないように振舞います。

そして、ちょうどこのころ、人は自らの生き方(ライフスタイル)を形成します。つまり、自分はどういう性格になろうか、とか、どういう生き方をしようか、とか。この時に、「親に好かれるような人間になろう」と自分の生き方を決定してしまったら、後々に自らで変更しない限り永遠と親の目を気にして生きることになってしまいます。親に好かれるような職業につき、親に好かれるような話をする。これはこれで真っ当な生き方のように見えますが、アドラーはこれを「人生の嘘」として非難しています。自分の人生は自分で決定していくものであり、たとえ両親であっても他者が介入してはならないのです。

このように、両親に好かれるように生きている人は世の中にたくさんいると言われていますが、彼らは決して親孝行な人間などではありません。「自立ができていない」のです。それではダメだ。ならばどうすればよいのか。その結論としてアドラーは本当の愛を知れと語ります。すなわち、無条件に信頼を寄せることができるパートナーを作ることこそが自立につながるのです。なんだか私にはピンときませんが、おそらく、結婚すれば親がどう思うのかだとかいうしがらみからは抜け出せるということでしょうか。中には、結婚してからもマザコンをこじらせている男性などがいるみたいですが、彼らは本当に愛し合っているわけではないということなのでしょう。

 

 

 

なかなか話がまとまりませんでしたが、こんな所で終わろうと思います。