【感想】ブラックジャックによろしく

昨日、ブラックジャックによろしくを読み切ったので感想を書こうと思う。

 

この漫画は医療の「闇」の部分に焦点を当てている。そのため医学部を目指している受験生などにはおすすめできないと、どこぞやで言われている。しかし、最後まで読み終わった私はそうは思わない。むしろ医者という職業の尊さを実感している。

 

先日プロフェッショナルに出演していた終末期の在宅医療を専門とした小澤医師についてのブログを書いたが、この漫画を読むにつれて彼の言葉の意味がより深く理解できたような気がする。

 

ベストを尽くしても治せない患者がいる。どんなに最善の医療を施しても死なせてしまうことがある。そんな事態に何度も直面した小澤医師は医者の無力さに絶望することがあったそうだ。しかし、ある時から

「無力な自分も、そこにいて良いのだ」

と考えるようになってから、気持ちがスッと楽になったという。

 

この漫画の中でも、「医療の限界」というテーマがある。医者は医局や国のルールの中でしか生きられないという現実を、研修医である主人公の斎藤が受け入れられずにもがき苦しむ様子が度々描かれている。

国の定めたルールに縛られ、助けられるかもしれない患者を助けられない虚しさ、それに逆らうと医師会全体から「異端」と見なされ、働き口がなくなってしまうという理不尽さに、斎藤は絶望するが、最後まで自分の信念を貫いて「良い医者」であろうとした。

 

斎藤にとっての良い医者の理想像は物語が進むにつれて、少しずつ変化していく。

彼は序盤では「治す」「少しでも長く生きてもらう」ということに正義を感じていた。ガンの話の中では、保険適用外の未承認抗がん剤を使ってでも患者を延命させようとした。しかし、それは患者を思ってのことではない。未承認のものを国に承認させるために「治ったという結果」が必要だったからだ。

もちろん、医療界全体を救うためには必要かもしれないが、効果がわからない抗がん剤を試し打ちされる患者の側からすると、腹立たしいことだ。

 

前のブログにも書いたが、延命が絶対に正義であるとは限らない。もはや助かる見込みのない末期がんなのであれば、苦しんで死ぬか、楽に死ぬかという「死に方」に注目しなければ、本当のケアとは言えない。

 

終盤になって、そのことに気付いた斎藤は「緩和ケア科」という、終末期の患者に安らかな死を遂げてもらうための分野を新しく大学病院に開設する。小澤医師の人生に通じるものがあるのではないかと私は思う。

 

この漫画が読者に伝えたかったことは、おそらく

「ルールに縛られるな、リスクを恐れるな」という事と

「相手のことを思いやるのは難しい」という事なのではないだろうか。

周りから隔絶されようとも、間違いであると確信するならば、その姿勢は曲げてはならない。しかし、それには相当の覚悟が必要だ。自分の信念を貫くことの「難しさ」も強く伝わった。

 

毎日毎日、上からの言いなりになって、自分の意見を言うこともなく、ただ言われたことをやるだけの人生なんて私は嫌だ。もがき苦しみながらも、常に考え続ける毎日を送っていきたい。

 

 

アドラー心理学

最近話題の「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」の2冊をようやく読破しました。アドラー心理学を知ればこれからの生き方を変えられるのかもしれない・・・と思わせるほどの大傑作だったと思います。

 

 

 

・内容

 

自分の生き方に悩む青年が、とある哲学者の元を尋ね、「アドラー心理学」という哲学の教えを授かることによって人生観を大きく変えていきます。物語性は特になく、ただひたすらこの両者が対談をしているという形式です。

 

では、アドラー心理学とは何なのか。というと、そんなもの私ごときでは到底語り得ません。というか、まだ全貌を理解しきれていないので、細かな解説はできません。しかし、あえて超大まかにまとめるならばこんなところでしょうか。

 

 

・物事を原因論ではなく、目的論で語れ

・他者が自分のことをどう思うかというのは、わたしには知り得ないのだから考えるな

・本当の愛を知ることで自立しろ

 

 

はい・・・。全然まとめきれてないのですが、私が今パッと思いだした、印象に残っているのはこの3つです。本当はもっとあります。では上から順にみていきます。

 

 

 

 

・物事を原因論ではなく、目的論で語れ

 

これは「引きこもり」を例に挙げて説明されていました。

なぜ、引きこもりは引きこもっているのか?という問いに対して

 

「そりゃあ引きこもるようになった原因があるのだろう、例えば学校でいじめられて不登校になってそのまま引きこもり続けてるとか。」

 

というように、「原因論」で考えるのが一般的ではないでしょうか。過去のトラウマによって引きこもらざるを得ない状況なのだ、本人は出たいのだけれど出られないのだ、という感じで。しかし、アドラーはこの原因論を否定し、「目的論」を提唱しました。

つまり、「外に出ないという目的を達成するために、いじめられたという過去を持ち出して、不安感を創出している」

というように考えたのです。

 

外に出ないという目的・・・

 

なぜそんな目的を持ってしまったのかというと、

「単に、外に出ない方が人とかかわる必要がなく楽だから」という目的

「引きこもることによって親に構ってもらい、注目されたい」という目的

さらには「親への復讐」なども考えられるかもしれません。

 

 

目的論は「結局全部言い訳なんだろ?変わりたくないから、変わらない方が楽だからトラウマだの過去だのを持ち出してるだけじゃねえか!」というような暴論にもとれないこともないなあと私は思いましたが、じっくりと考えてみると、極めて前向きな、希望に満ちた考え方であると感じました。

なぜなら、「過去は変えられないが、未来は自由に選び直すことが可能」であるからです。つまり、変えられない過去のトラウマだとかに固執していても仕方がないのだから、すべてを変更可能な未来のものとしてとらえるべきだということです。過去のショックな出来事がきっかけとなり始まった引きこもりも精神病の一種などではなく、本人の決断次第で克服できるものであるということです。

 

もちろん、引きこもりだけに限りません。例えば、自分は悲観的な性格だと思っている人は、「自分は悲観的な性格だから全てが上手くいかないんだ!」という言い訳を随所で実行するという目的を果たすために自らの手で悲観的な性格を選択しているのです。これに関しても、自分が「明るく社交的な性格になりたい」と自分の人生観を選びなおしさえすれば変われます。性格は生まれつき備わったものなどではありません。自分で悲観的になろうと決断してなったにすぎないのです。

 

 

 

 

・他者が自分のことをどう思うかというのは、わたしには知り得ないのだから考えるな

 

私がどれだけ説教しようが、相手はそれで本当に心を入れ替えるとは限りません。であるならば、相手がどれだけダメ人間だとしても

「それは私がどうこうできる問題ではないのだ」と分離することも必要です。これを実行することで他者の目を気にしながら生きていく必要はなくなります。

 

 

 

 

・本当の愛を知ることで自立しろ

 

これに関しては、正直、結婚している人にとっては当たり前だろというか、無意識で実行できていることが書かれているだろうなという感じでした。大まかにまとめると次のようになります。

 

人間は赤ちゃんの状態では、親がいなければ生きていくことができません。おそらく小学校まではそうでしょう。そのため、親に見放されるとか、親に嫌われるとかいう事態は生死にかかわる危機となります。よって、親の言いつけを守り、なるべく好かれるように、見放されないように振舞います。

そして、ちょうどこのころ、人は自らの生き方(ライフスタイル)を形成します。つまり、自分はどういう性格になろうか、とか、どういう生き方をしようか、とか。この時に、「親に好かれるような人間になろう」と自分の生き方を決定してしまったら、後々に自らで変更しない限り永遠と親の目を気にして生きることになってしまいます。親に好かれるような職業につき、親に好かれるような話をする。これはこれで真っ当な生き方のように見えますが、アドラーはこれを「人生の嘘」として非難しています。自分の人生は自分で決定していくものであり、たとえ両親であっても他者が介入してはならないのです。

このように、両親に好かれるように生きている人は世の中にたくさんいると言われていますが、彼らは決して親孝行な人間などではありません。「自立ができていない」のです。それではダメだ。ならばどうすればよいのか。その結論としてアドラーは本当の愛を知れと語ります。すなわち、無条件に信頼を寄せることができるパートナーを作ることこそが自立につながるのです。なんだか私にはピンときませんが、おそらく、結婚すれば親がどう思うのかだとかいうしがらみからは抜け出せるということでしょうか。中には、結婚してからもマザコンをこじらせている男性などがいるみたいですが、彼らは本当に愛し合っているわけではないということなのでしょう。

 

 

 

なかなか話がまとまりませんでしたが、こんな所で終わろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.03.06 プロフェッショナル 訪問医療

今日の「プロフェッショナル」に、訪問医療医の小澤竹俊先生が出演していました。終末期医療は本当に難しいものだなと改めて感じさせられました。

 

・命を救うことだけが目的ではない

もうすぐ死んでしまうであろう患者さんには、「いかにして穏やかな最期を迎えてもらうのか」という目的のもとで医療行為をすることになります。そのためには、患者さんが本当に願っていることを「見抜く」力が必要とされます。家族に迷惑をかけないように、自分の本当の希望を押し殺して我慢する患者さんが多いですが、それでは「幸せな最期」を迎えることができません。例えば、延命を望まないのであれば病気が悪化しようとも、副作用の強い薬の投与を避けるべきであり、病院ではなく自宅で過ごしたいのであればそうするべきなのです。また、喋れる内に残された家族に伝えたいことを全て引き出させることも、終末期医療の中での重要なケアとなります。普段の何気ない会話の中からも、本人が大切にしてきた思い出や、価値観を引き出すのです。小澤先生は、この「引き出す」ことが非常に上手いと思いました。相手の言葉一つ一つを反復して、噛みしめながら話を聴いており、おそらく患者さんにとって、「自分と真剣に向き合ってくれている」と思えるような、「この人なら信頼できる」と思わせることができるような姿勢でした。

 

・ご家族のケア

自宅での看取りを考えるのであれば、患者さんだけではなく、患者さんと一緒に過ごすご家族の不安も解消させる必要があります。

 

・患者さんから学ぶことがある

患者さんの遺言で印象的だったのが、「自分は財を成すことだけに奔走してきたが、息子には社会貢献をしてほしい」というものでした。長い人生の中での終末期を迎えた人の言葉は重みが違うと思いました。

 

 

他にも書きたいことが色々あるのですが、もう眠いので寝ます。

今後

4月に働き始めてからの日記というか、思ったことをありのまま書いていこうと思います。誰も見ていないと思いますが、万が一福祉に興味をもって、このブログを見つけた方が読んでくださっているのであれば・・・という前提で書いていこうと思います。まあ基本的には自分の考えを残して後々見返すための記録として書いていきます。

ちなみに現在は引っ越しの準備中です・・・

 

介護職員初任者研修を受けようとしている方へ

こんにちは。ギイです。

私は現在大学4年生で、4月から福祉系の会社に入る予定の男性です。

とはいっても最初から本社勤務ということはなく、介護現場での仕事になります。

私が勤める予定の場所は「グループホーム」といって、認知症を患っている利用者さんが8人程?で共同生活をする施設です。少人数で家族生活というテーマの施設なので、比較的穏やかだそう(もちろん場所によりますが・・・)。なので、介護初任者の多くはこのグループホームに配属されるようです。

 

あ、言い忘れていましたが私、介護経験0です。大学でも福祉分野の勉強は一切したことがありません。

なのにどうして福祉施設で働こうなんて思ったの・・・?と感じる方もいるでしょうが、意外と私みたいな人って多いんです。

 

それがわかったのが、「介護職員初任者研修」でした。

 

そもそも介護職員初任者研修って一体なんなのか、ということなのですが、簡単に言うと、介護の仕事を「これから始める人」が介護技術の基本を学ぶ講座になります。

修了すると全国で通用する「介護職員初任者研修」の資格を得ることができます。

昔の「ホームヘルパー2級」がこの資格に相当するそうです。

 

私の会社では入社条件としてこの資格の取得が必須だったので、内定が決まってからすぐに教室に通うことになりました。

 

で、具体的に何をしたのかというと

・授業は全部で15回(1回8時間ほど)

・座学(介護士としての心構え、介護保険認知症、人体の構造など)を7回

・実技(食事介助、入浴介助、移動介助、車いす操作、排せつ介助など)を7回

・最後の1回は修了試験(1時間)

という感じでした。

通う教室によってカリキュラムは異なるかもしれませんが、基本的にはこんな感じだと思ってもらって良いと思います。

 

おそらく、私のような介護初心者の方々にとっては

「実技なんて無理だ・・・」

「試験あるとか辛すぎるだろ・・・」

という不安があるかもしれませんが

修了した後の正直な感想は

「楽しかった」の一言に尽きます。

 

 

私の通っていた所では約20人程の生徒がいて、

私のように大学4年生で福祉初心者で就職先から「取ってこい」と言われて来た人もいれば、30代の主婦の方がパートで介護の仕事をするために通っていたり、50、60代のおじさんおばさんが福祉施設に転職するために取りに来ているというケースもありました。

中には、70歳を越えたおばあさんで、10年以上実務経験のある方が、「1度介護を学びなおしたい」ということで来ているというケースもありました。

 

なので、生徒の年齢層はバラバラでした。比率としては大学生が6割といった感じでしたね。しかし、私のクラスは全体的に和気あいあいとしており、実習中も楽しみながら技術を学ぶことができました。グループワークが多かったこともあり、すぐにクラス全体が打ち解けあったという感じでした。また、70越えのおばあさん生徒の方には第2の先生として実技を教えてもらいました。

自分で言うのも恥ずかしいですが、福祉職を志す人は性質上、「穏やかな人」ばかりです。なので、私としては非常に居心地が良かったです。

 

それで、肝心の実技なのですが、覚えなければいけないことは当然ながらあります。

例えばベッドのシーツの引き方一つとっても、しっかりと指導されます。なぜなら、シーツのしわというのは、床ずれの原因になるからです。寝返りが自分で自由にできない人にとって、床ずれは非常に重大な問題です。冗談抜きで1晩でかなりグロテスクな怪我に発展することもあります。だからこそしわ一つなくピシッとシーツを引く技術は介護士としては当然必要となります。

 

しかし、そんなに身構えることはないです。先生も「最初はできなくて当たり前」という気持ちで指導してくださるはずなので、できないからといって「そんなんで現場でやっていけると思うのか!!!」なんて叱られることなど絶対にあり得ません。

また、クラスの皆で協力しつつ教えつつ学んでいけたので、手先の不器用な私でも回を追うごとに勝手に上達していきました。

 

 

そして、修了試験は、これも住んでいる都道府県や教室で異なるかもしれませんが、まあ、受かります。もちろんノー勉で受かるとは言い切れませんが、試験前日にしっかりと要所を押さえておけば、余裕で受かります。というか万が一落ちても、次の日以降で受かるまで何回でも再試験を受験できると思うので、特に危惧する必要はないです。ちなみに私のクラスでは全員1発合格でした。

 

試験に出るのは、例えば、認知症の種類とかICFとかノーマライゼーションとか神経とか。人体の構造の授業が高校の生物並みに難しかったのですが、試験ではほんの基本中の基本しかでませんでした。なので、普通に座学を受けて重要項目を覚えれば余裕で受かります。大丈夫です。

 

はい、そんな感じです。

これから初任者研修を受けようと思っている方は

ぜひ、気軽な気持ちで、友達作りに行くくらいの感覚で行ってみてください。

また、福祉業界で働くことへの不安を解消するきっかけにもなると思いますので、パートのお仕事を検討中の方もぜひ一度、受けるだけ受けてみて介護の仕事を検討してみるのもありだと思います。